歌舞伎に行ったことはありますか?
お値段も高いし,敷居も高く感じますが,お安い席もあります。
歌舞伎の世界では女性が舞台に上がっているところを見たことがありません。
歌舞伎の世界の女性の立場とはどうなっているのでしょうか?
日本の伝統の歌舞伎と女性について考えてみたいと思います。
歌舞伎の世界では女性は役者になれない?
これは本当です。今は男性俳優さんのみが舞台に立てます。
女役も男性俳優が演じています。
厳密に言えば子供で10歳程度なら女性でも舞台に上がることが出来ます。
松たか子さんも子供の時に舞台に立ちましたし,市川海老蔵さんの御嬢さんも最近くまもんと舞台に出て話題になりました。
歌舞伎の子役は、一本調子の独特の抑揚でセリフを言います。
男の子が演じても、女の子が声を出しても違和感がないからだそうです。女性は舞台に立てないのは伝統的なものですが,子供なら女性でも舞台に立てるというルールがあります。
女性を舞台に上げてはいけない理由とは?歴史的な背景とは?
歌舞伎の歴史は、江戸時代のそれも徳川家康の時代から始まったとされています。
かなり古い歴史があります。出雲の阿国の「かぶき踊り」からはじまったといわれています。
この「出雲の阿国」は女性です。特に人気の演目は、「傾き者」の男性を女性の阿国が扮して踊った「かぶき踊り」でした。
当時の世相を演目に取り入れ、若い女性が男性を演じるというこの演目は大喝采を浴びました。
「かぶき」は「傾く(かぶく)」という動詞から派生した言葉です。この女性は出雲から来た一座のアイドルとなります。
京都での成功をもとに阿国の「歌舞伎踊り」は江戸(東京)にも進出します。阿国の踊りは東京でも受け入れられブームになります。
阿国の踊りは、京都の民衆の心を掴み熱狂させます。あまりにも熱狂しすぎて遊女らによる女一座が沢山踊ることになりました。
女性によって演じられたかぶき踊りは「女歌舞伎」と呼ばれるようになります。
しかしこれが残念ながら仇となります。遊女たちの踊りはかなり際どいものがあったようです。
今で言えばストリップのようなものだったようです。これでは風紀を乱しかねないと徳川幕府は懸念しました。
そして遊女によるトラブルが多発したために,遂に1629年に徳川幕府は「女歌舞伎」を廃止にしてしまったのです。
女が駄目ならと今度は美少年を集めた「若衆歌舞伎」を流行ります。
しかしこれも性への対象となりうると判断されて,これも徳川幕府により1652年に禁止されてしまいます。
「女歌舞伎」も「若衆歌舞伎」も風俗を乱すというのが主な理由だったのです。
そして今のように男も女の役も成人男性が歌舞伎を演じることになったのです。歌舞伎そのものも容色を重視したものからストーリーのあるものに変化していきます。
女役である「女方」は「若衆歌舞伎」から実はあったらしいのですが,この頃から女方を専門に演じる俳優が出てきたのです。
ストーリー化された歌舞伎はそれぞれ演じ分けられることになります。若い女性を演じる「若女方(わかおんながた)」、男性役の「立役(たちやく)」、男性の悪人の「敵役(かたきやく)」、中年から老人の女性を演じる「花車方(かしゃがた)」、滑稽な役を演じる「道化方(どうけがた)」などがありました。
1688年頃以降は、野郎歌舞伎(やろうかぶき)ではない歌舞伎が江戸と上方で流行っていきました。
江戸では、「荒事(あらごと)」を得意とした初代市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が活躍していくことになります。
今でも市川團十郎さんは活躍されています。長い歴史を持っていますね。
「荒事」というのは「見得(みえ)」や「六方(ろっぽう)」などの演技をしたり
顔に大きく化粧をした「隈取(くまどり)」を特徴としています。そしてその踊りは力強いものになります。
今現代でも,女方でも女性が歌舞伎の舞台に立てないというのは今の時代にそぐわない感じもします。
女方は男性の俳優が演じる為に男性の女方をやる立ち姿や型などが出来上がっています。女方は「女性」というものを客観視して、そのエッセンスと思われる部分を取り出して拡大化して見せる「技術」なのです。
身のこなし、歩き方、言葉遣い、そして物語の中における性格付けなどあらゆる方面で長い時間かけて作られてきました。
「女らしさ」を表現するための技術が優れ過ぎてしまっているという側面はあります。
それ故に現代において女性が歌舞伎の舞台で同じようにやってしまうと,逆になよなよとした感じになってしまうそうです。長年作り出された技術によるものなのです。また歌舞伎というと非日常的なものですから,女性が舞台に立つことは急にリアリティが出過ぎてしまうようです。
女方の衣装なども男性俳優が着るように作られているので,女性には大きすぎるという説もあります。
歌舞伎の世界に嫁いだらとにかく男児を産まなければならないという風習は今でもあります。現代では少し不思議な世界に思えてしまうのですが,長い歴史の中でそのように作られてきたということが理解出来たら幸いです。でも最初の起源は女性なんですね。
梨園のお嬢様でも松たか子さんや寺島しのぶさんのように,子供の頃から演劇に親しんでいた女優さんが映画やテレビ,舞台などで俳優として活躍していますが,決して歌舞伎の舞台には立てないのです。