昔から歌舞伎界は梨園と呼ばれていました。この梨園という言葉は現在でも歌舞伎界を示すことばとして定着しています。
ではどうして梨園と呼ばれるようになったのでしょうか?
そこで、梨園の言葉の由来や歌舞伎の世界を梨園と呼ぶ理由などについてご紹介し、梨園という言葉についてご紹介してみたいと思います。
梨園とは?
梨園は梨の園とかいてりえんと読みます。梨園はもともとは中国の昔の王朝である唐の宮廷音楽家養成所のことをいいます。
梨園は、日本においてはそこから意味が転じ、一般社会の常識とはかけ離れている芸能の特殊社会である歌舞伎の社会のことを意味するようになりました。
そのため、日本において梨園とは歌舞伎の世界のことをいいます。
梨園という語はもともと、唐の玄宗皇帝の時代に、唐の都、長安の西北郊にある西内苑内において、芸人達が集められたのが梨が植えられている庭が梨園と呼ばれていたことに由来しています。
そして、この梨園という名称は明の時代には中央劇壇を呼ぶのに対して用いられるようになっていました。
このように、中国と日本では梨園という意味は異なっており、中国においては梨園は玄宗皇帝の音楽家養成所のことを意味し、日本においては歌舞伎界のことを意味するのです。
歌舞伎の世界を梨園と呼ぶ理由
この点についてはやはり中国の唐の時代の玄宗皇帝が大きく関わっているのです。唐の玄宗皇帝は楊貴妃を愛した皇帝として有名な皇帝ですよね。
楊貴妃に出会うまでは民に慕われるすばらしい政治を行っていて、民にとても人気がありましたが、楊貴妃に出会い、楊貴妃を寵愛していったことで、皇帝に対する信頼が崩れていってしまったといわれています。
しかし、玄宗皇帝はもともと芸能好きで、皇帝自身も音楽の達人だといわれていました。
そのため、芸能には理解が深く、宮廷では音楽を奏する者の子弟300人(坐部伎)を選んで、宮廷内の梨の木のある庭園(梨園)で音楽を教えたほどでした。
この弟子たちは皇帝の梨園の弟子といわれ、劇なども勉強していたと伝えられています。
その後、劇場全体が梨園と呼ばれるようになったのです。
このようなことに由来して、江戸時代には歌舞伎の世界が梨園とよばれるようになりました。
そして、今現在も歌舞伎界はその呼び方で呼ばれています。
梨園はもともと、演劇や音楽といったあらゆる芸能をまとめたような世界を示す語として使われていました。
しかし、現在では歌舞伎界だけを意味する語として使われるようになっています。
その理由は、歌舞伎の世界は特別な世界であったことが大きな理由といえます。
このような玄宗皇帝の故事から、江戸時代には歌舞伎の世界が梨園と称されるようになり、このことが転じて現在に引き継がれているといわれているのです。
語源は?
梨園は、唐の玄宗皇帝の虎児に端を発し、玄宗皇帝が弟子を皇帝梨園弟子(こうていりえんでし)と称し、この故事から、江戸時代の漢学者が歌舞伎界のことを梨園と呼ぶようになったといわれているのです。
その呼ばれ方が定着し、梨園の弟子が転じて歌舞伎の世界を指すようになったのです。
唐の玄宗皇帝は楊貴妃とのロマンスで有名ですよね。玄宗皇帝は唐の第9代目の皇帝で、唐明皇とも呼ばれました。
その治世の前半は開元の治と呼ばれる善政を行い、唐の絶頂期を迎えました。この政治は太宗の貞観の治を手本とした政治といわれています。
その後半は、楊貴妃を寵愛したことによって安史の乱につながってしまったのです。
安史の乱で宮廷音楽も壊滅状態になってしまいその後、衰退してしまったのですが、再び興され、838年に梨園は仙韶院と名称が変わりました。
しかし、唐が動乱の時代を迎えた唐末期に消滅し他のですが、梨園ということばはある程度定着していたこともあり、明代以後、中央劇壇にも梨園という名前が用いられたと伝えられているのです。
まとめ
梨園は歌舞伎界のことを意味します。
歌舞伎界のことを梨園と呼ぶようになったのは江戸時代で、漢学者によってそう呼ばれたことがきっかけであったといわれているのです。
それ以降歌舞伎界は梨園と呼ばれ、現在も歌舞伎界を呼ぶこと場として使われています。
梨園はもともとは中国の唐の玄宗皇帝の宮廷音楽団が梨が植えられていた庭に集められたということに由来しています。
その音楽団は音楽だけでなく劇も勉強しており、そのような劇団全体が梨園と呼ばれるようになったということなのです。
この故事から江戸時代には歌舞伎の世界は梨園と呼ぶようになり、玄宗皇帝の故事から日本で歌舞伎界のことを示す語として広がっていき、定着していったということなのです。
このように、歌舞伎界のことをあらわす梨園ということばには由来があったということなのです。ことばの由来を知ることで、歌舞伎がますますおもしろくなりそうですよね。