歌舞伎役者の屋号の一つに高麗屋(こうらいや)というのがありますが、此れは歌舞伎役者の屋号のことになります。
初代の松本幸四郎(江戸時代の歌舞伎役者)が若い頃、江戸神田の「高麗屋」という商店で奉公していたことがその名の由来とされています。
そして、現在まで其の高麗屋は襲名されて今に至っていますが、其の襲名というのは名称の屋号ばかりでなく, 名跡,や定紋(家紋)までをも引き継ぐことになります。
今年(2018年)の正月(1月)に其の高麗屋の襲名が37年ぶりんい親子三代同時におこなわれました。
親子三代で同時襲名をしたのは松本金太郎(11)、改め8代目市川染五郎、市川染五郎(44)、改め10代目松本幸四郎、そして松本幸四郎(74)、改め2代目松本白鸚(はくおう)が歌舞伎座で賑々しくおこなわれました。
高麗屋直系の親、子、孫3代の同時襲名は、1981年に同じく高麗屋が初代白鸚、9代目幸四郎、7代目染五郎を襲名して以来となり、実に37年ぶり2度目となる稀な慶事とされています。。
歌舞伎の襲名するということは
因みに、日本の伝統文化の代表的な演技物の歌舞伎というのは、其の俳優の名前の多くは、代々受け継がれて現在に伝えられていルノが普通です。
其の主に名前を継ぐことを「襲名(しゅうめい)」といいますが、其の代々受け継がれる名前のことを「名跡(みょうせき)」とも呼んでいます。
一般に歌舞伎の場合の襲名においては、名跡と共に其の演じられる、演じ方の芸風や得意な演目なども含めて受け継がれていくのが普通です。
また代表的な歌舞伎の名跡の場合は、その代表的な名跡に至るまでにはある意味のがあって段階的に襲名をするという特徴もあります。
今回の高麗屋にしても金太郎から染五郎、染五郎から幸四郎、更には幸四郎から白鴎といった段階を踏んでいます。
また歌舞伎俳優の家には、成田屋の市川團十郎家や音羽屋の尾上菊五郎家など、名跡と同様に代々伝わる「屋号」があります。
このことは江戸期においては一般庶民は勿論、同様に歌舞伎役者が、姓名、苗字を名乗ることを許されなかったため、其の名の代わりに使用していたものともいわれているのです。
劇場で演じている時に山場になると「○○屋・・!」といった客席から掛かる声が大向うからかかりますが、それらの多くは役者を褒め称える屋号であり、役者を褒め称えると同時に、劇中の演目や舞台を盛り上げる効果もあるのです。
歌舞伎の「襲名」の決め方
襲名といえば歌舞伎の襲名の他にも、此方も一人芝居と言われる伝統芸能の一つ落語の世界にもあります。
此等、歌舞伎や落語家の襲名や真打などの一種の名跡引き継ぎや所謂、昇格は誰が決めるのか気になります。
そして何時の時期にどのような理由で決めるのか此方も気になります。 歌舞伎役者や落語家の場合の襲名する時の基準も実際の所わかりませんね。
此等の襲名する理由についてですが、よくコトワザに「名は体を表す」と言われていますが、古くから日本国内では、一代で功を成し名を残した人物の場合、次世代に其の名を名乗ることによって、その名の重みを持つ名前、財産や権威を相続するという風習が有ります。
実は、日本では其れ以前から大名の名前や豪農、商家、その他においても其の代表的な名前を引き継ぐ襲名と言う習慣があります。
つまり、特に目につくのは商家の商号では当主の名前は商標であり、さらに仕事上の内容や提供するサービスでもありました。 つまり、この様な考え方が現在の歌舞伎や落語家の襲名にも引き継がれているのです。
歌舞伎の「襲名」の基準
つまり、名を残したその人の芸名というのは、一種の大きな財産ですから、その名前の相続する人、あるいは名前の所有者や本人、はたまた管理人が「襲名を是非したい」、あるいは「此の人に襲名させたい」と思えば、その人が思った通りに何時でも可能となるのです。
ただ此の際に、襲名を希望する本人が独断で行うのではなく、実際は周辺関係者やいちばん大事なお客さんやファンの賛同を得て、賑々しく執り行うのです。
よく歌舞伎の襲名の時に口上で「この度○○会長のご推薦もあり、また幕内関係者の御賛同も得て、また何よりも御贔屓(ごひいき)様のいずれも御協賛を持ちまして・・」と言うように、現実にはお客やファンから待望され、関係者の推薦と調整も有ることも確かです。
但し、襲名する場合はある程度の実績や経験のような基準も有って、それらに十分該当していなければなりません。
歌舞伎の場合は最低でも十年以上は舞台に立ち実績を上げ、その上で其の役者の後見人を本人や師匠が推薦して、ようやく資格が得られます。
伝統歌舞伎の面白さと「襲名」の理由
歌舞伎の面白いところは、先ず演目の演題名や演じている時のセリフ、言い回しの奇妙さ、衣装の奇抜さや其れに何より演じ方が極端で時には演舞にしてはかなり際立ったシーンが劇中で演じられます。
確かに、歌舞伎というのは江戸時代の流行語の「歌舞く」、「傾く」というのが流行語にもなっていたようで、奇抜な身なりをする意の動詞がそもそもの名前になったようで、、江戸時代の文化が育てた日本固有の演劇でもあります。
平安時代の舞踊や鎌倉時代の浄瑠璃に見る音楽、そして江戸時代の台詞劇などの諸要素を集大成したもので、それが江戸期に庶民的な総合演劇として集大成され今日にったものです。
つまり、江戸時代は庶民文化の下に成立したとされる演劇や能楽、そして人形浄瑠璃などともに日本の三大古典劇とされていて、現在に踏襲されているのです。
勿論、此の際に演劇を引き継ぐということは演ずる人達も同じように踏襲、引き継ぎされているもので、特に演者の引き継ぎおいては「襲名」と名乗っていて、代々、引き継がれていて後世に残すシステムとなっているのです。