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歌舞伎は、能楽や狂言、文楽とともに日本を代表する伝統芸能です。そして歌舞伎には、400年という長い歴史があります。そんな歌舞伎の歴史、またどのようにして現代まで伝承されてきたのかを紹介したいと思います。

歌舞伎はなぜ生まれたのか

「傾く」と書いて「かぶく」と読みますが、歌舞伎はこの傾くという言葉が由来とされています。傾くという言葉には、並外れている、常軌を逸しているという意味があります。安土桃山時代から江戸時代にかけて「かぶき者」と呼ばれる、奇抜な服装や髪型などをして秩序に反する人がいました。このかぶき者に扮した出雲の阿国が舞台で踊ったことから、歌舞伎の前身である「かぶき踊り」が生まれました。
かぶき踊りが人気を博すようになると、遊女や女性芸人がこぞって真似るようになり舞台で踊り始めました。

これを「女歌舞伎」と呼びます。女歌舞伎は、江戸や地方でも上演されるようになり、さらには当時では珍しい楽器であった三味線を取り入れた踊りが披露されたことで、ますます人気を広めていきました。しかし、女歌舞伎は風俗を乱すとされ禁止されることとなります。これにより、成人前の少年が演じる「若衆歌舞伎」が誕生します。しかしこの若衆歌舞伎も風俗を乱すとされ禁止となります。その後、前髪をそり落とした野郎頭の成人男性が演じる「野郎歌舞伎」の時代が始まっていきます。
このようにして、徐々に現代に受け継がれる歌舞伎の形に変化していきながら、大衆の娯楽として発展していきました。

どのようにして現代に伝わったのか

現代まで歌舞伎が伝わっている理由の一つに「歌舞伎十八番の制定」が影響していると思います。
江戸歌舞伎の中心人物の一人に市川團十郎がいます。この團十郎は、息子に8代目の團十郎を襲名させ、自分を5代目市川海老蔵と名乗りました。この時、歌舞妓狂言組十八番として18の演目を市川團十郎家の演目として制定しています。

この海老蔵の働きは、江戸歌舞伎を代表する家系としての市川團十郎家の権威を改めて示すためであったとされています。團十郎家が制定した演目を繰り返し上演したことで、次第に「歌舞伎十八番」という名称が浸透していきます。この制定の影響は、明治時代に入ると他の家系や役者個人にも広まり、受け継いでいく「家の芸」として演目を制定する動きが始まります。中でも、歌舞伎十八番に対抗するために制定された5代目尾上菊五郎の新古演劇術はその代表でもあります。
また野郎歌舞伎の時代が終わってからは、江戸と上方のそれぞれで歌舞伎が発展していきます。江戸は武士の街として栄えていたこともあり、「荒事」という見得や六方といった演技や隈取りといった迫力や力強さのある芸が人気となり、この荒事を得意としていた初代市川團十郎が活躍していました。

一方、上方では優美な演技で表現する「和事」が人気であり、この和事を得意としていた初代坂田藤十郎が活躍していました。東と西のそれぞれで歌舞伎の演技が確立され、それは家の芸として現在まで受け継がれています。
このようにして、演目や芸が家系、そして役者個人の後継者に受け継がれていくことで、発展しながら伝統として生きているのだと考えられます。

現代での歌舞伎の存在意義

かぶき踊りから始まった歌舞伎は、様々な形を経て私たちの知る歌舞伎の姿になりました。
発祥当時のかぶき者の精神を受け継ぎながら、演劇や音楽など様々な要素を取り入れ、歌舞伎独自の表現方法を備えてきたことで総合芸術として発展してきたのです。この歌舞伎ならではの姿勢と表現方法がまさに歌舞伎の存在意義だと思います。

今では当たり前のように目にするドラマや映画ですが、カメラワークやポーズを決めるといった動作など、歌舞伎の表現方法から影響を受けて成り立っている部分が多くあります。さらに、その影響は海外の映画にもあると言われており、実際に海外の映画監督も歌舞伎からインスピレーションを受けたことを話している方もいるのです。
現在では、現代劇の作家や演出家と連携した作品や漫画が原作の作品を上演したり、歌舞伎劇場ではない場所を使って公演するなど、従来の枠を超えた動きが増え幅広いファンを獲得しています。さらに、日本の伝統芸能として無形文化遺産にも登録され世界でも注目される文化でもあります。

若者にとっては、歌舞伎について学校で学ぶこともなく目にする機会もほとんどないため、身近なものとは思えないかと思います。だからこそ、若者のファンを作るべく歌舞伎界での改革が進んでいます。いつの時代も、傾くものを取り入れていくという歌舞伎の姿勢は、現代でも続いているのです。
こうして芸術に影響を与えてきた歌舞伎。傾くものを歌舞伎に取り入れながら発展していく歌舞伎は、これから先も芸術に、そして世の中に影響を与え続けていくと思います。これこそが、歌舞伎の存在意義と言えるのではないでしょうか。

まとめ

秩序に反する者の精神を踊りで表現したことから始まった歌舞伎は、400年経った今でも伝承され続ける文化となっています。そして、日本の文化として、国内のみならず海外にも広まりを見せ海外公演も行われるようになりました。次から次へと新たな姿を見せてくれる歌舞伎です。
日本を代表する伝統文化であり、そして世界が認める文化遺産です。だからこそ、伝承し守り続けなければならないと同時に、常に時代を意識し、時代を超えて受け継がれている歌舞伎の奥深さを、日本に住む者として知ることも必要なことなのかもしれません。

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