歌舞伎の世界に女性はおらず、女性役は女形と呼ばれる男性が女性の格好をして演技をすることは有名です。
舞台に出るなりその華やかさで観ている人を魅了してしまう女形。
歌舞伎の始まりは阿国という名前の女性だったことが有名ですが、ではなぜ男性が女性の役をするようになったのでしょうか。
歴史を紐解いてみましょう。
女形とは何か
元々の意味は男性が女性を演じるという意味に限られませんでしたが、現在では男性が女性を演じることを女形と呼びます。
歌舞伎での読み方は正しくは「おんながた」であり、「おやま」という呼び方は立女形・若女形といった特殊な連語の場合だけ「おやま」と呼びます。
本来「おやま」というのは遊女の異称で、歌舞伎だけでなく浄瑠璃でも呼ばれていた言い方です。
浄瑠璃の人形遣いであった小山次郎三郎(おやまじろうさぶろう)さんの操る人形がとてもツヤっぽく美しいと評判だったので、美女を見るとまるで小山人形のようだと褒め言葉にしたのです。
これが転じておやまと呼ばれるようになったという説と、遊女が眉墨を山の形に書いていたことからおやまと呼ぶようになったのだ、という説もあります。
女形が演じるのは三姫と呼ばれる八重垣姫と雪姫、時姫に代表される姫君や花魁、若い娘や人妻、そして奥女中などの中年以前の女性であり、下女や豆腐屋などの脇役は女形ではありません。
演目に登場する女性の役柄では、街娘や田舎娘などの娘方、艶やかな遊女である傾城、男勝りの強い女性である女武道、武家の妻女や奥女中など高位の女性である方外し、茶屋などで働く年配の仲居である花車方、世話物と呼ばれる庶民が中心の演目で登場する女房である世話女房、好きになった男性のために悪事を働く中年の女性である悪婆などです。
女形の魅力とは
女形の魅力は何と言ってもその「女性らしさ」です。男性からみた理想の女性を表現することが大切であると言われていて、舞台の上でまぼろしの女を作ることに技術を集結させます。
歌舞伎は「らしさ」が大切な演劇という言葉がありますが、女性でない体をもった人がいかに女性らしさを出せるか、が大切なのです。
身のこなしや歩き方、言葉遣い、あらゆる点で女らしさを表現するための技術が集結されていますので、現実にはこんな女性はいないというような形となり観ているものを魅了するのでしょう。
女形を演じる際には衣装に隠れて見えない部分までも神経を行き届かせます。
肩甲骨を常に下げてなで肩にする、両膝を離さないようにして内股で歩く、腰を落として身長を低くみせる、手を全て出さずに少し着物に隠すようにして可憐さを表現する、などです。
女形が舞台へ出てくると、その美しい容姿やたおやかな所作で会場が一気に華やぎます。男性も女性も舞台の上だけの幻の女性を見て、夢の世界を体感するのです。
男性が女性を演じる理由
出雲の阿国によって始められたと伝えられる歌舞伎は、江戸時代までは女性も少年も演じていました。
京都で人気となってそれは江戸や地方でも人気となり、後の時代に彼女を真似た遊女達が女歌舞伎と呼ばれるものを始めることにしたのです。
しかし遊郭で行われていたため、風紀が乱れて事件が頻発することが多くありました。
そして江戸幕府によって1629年に女性が演じることが禁じられたため、それ以降は男性しか出演できなくなったのです。
そのため初期の歌舞伎の世界においては女形は女優の代わりになることを求められたので、日常生活でも女装をして女性のように生活をしていることが必要だったようです。
ちなみに女性の演じることが禁止されたあと、少年を使うことも風紀が乱れるという理由で禁止されています。
歌舞伎の女形は妖艶で魅力的
とても奥が深いのが歌舞伎の女形です。舞台で見るときには化粧の仕方や着物、小道具などにも注目してみて下さい。
化粧や着物を変えることで年齢や立場を表現しています。
最後に美しい女形が登場する演目を紹介しましょう。
1、「藤娘」
舞踊からはこの演目です。
黒塗りの傘と藤をあしらった衣装で踊りを披露するのが藤娘です。
六代目・尾上菊五郎さんによって藤の花の精が娘の姿になって美しく舞うという演目に変わりましたが、元々は大津絵から出てきた娘が踊るというだけのものでした。
2、「壇浦兜軍記」
時代物からはこちらの演目がおすすめです。
恋人である平景清の行方を問い詰められた遊女が、琴、三味線、胡弓を奏でつつ身の潔白を証明する、阿古屋の琴責めで有名な演目で、女形の大役とされています。
役者は実際に琴と三味線、胡弓を舞台の上で演奏する必要があり、恋人を思う遊女の心情の表現もしなくてはなりませんのでとても大変な舞台です。
3、「助六由縁江戸桜」
世話物で有名なのはこの演目です。
通称は助六で、吉原が舞台の恋愛話です。
ヒロインの花魁・揚巻が敵役に向かって悪態をつきながら啖呵を切る場面が見所で盛り上がります。